2011年12月20日 (火)

公共施設白書

今月の議会質問でもある議員が取り上げていました。公共施設白書を作成する自治体が増えてきています。

そして、公共施設マネージメントを白書の作成(公共施設の現況一覧表作成)だけに止まらずに行政経営の域を目指した取り組みが始まっています。

「行政経営」と比較する表現として「行政運営」があります。現存する公共施設の耐用年数管理とその建て替え計画のみにとどまるなら単なる運営管理です。

行政経営とは公共施設の運営管理に止まらない、時代変化を見据えた民意の把握と同時に「ある意味で民意を超えた行政理念」の具現化が求められるものだと私は理解します。

固い言葉づかいから入りましたが、今回のブログは直前の記事のコメントに関連しての「気づき」から始まっています。

新居浜だけでなく全国の自治体は昭和40年代の高度成長期、地方の都市化現象期に建設された公共施設の耐用年数期限の切迫に直面しています。

新居浜市が現在計画を進めているJR駅前の芸術文化複合施設は新居浜市政の歴史的経緯から見ると昭和の時代に興った美術館建設運動とそれに対する「お約束」の実行です。

公共施設の建て替え事業とみれば昭和27年建設の郷土美術館(旧庁舎)の代替施設とも言えます。

経済も人口も右肩上がりだった高度成長期に公共施設の建設ブームがありました。これを肯定する見方として都市機能の充実を目指したということができます。

個人の家庭に各種電化器具が整備されるように、都市機能の整備として公園整備・市民プール・市民体育館・市民ホール等の建設が進められた。(公園整備について一言触れるなら黒沢明監督の「生きる」を思い出して頂きたい。)

そして現在は経済の停滞、人口減と超高齢化・・・都市のコンパクト化へのシフト。(コンパクトな街への転換などといっても広げた地図をたたむ様にはいかないですよね・・!)

話が膨らんだり、横道にそれたりしてきました。そろそろ筆をおきましょう・・

最後に、以前ブログに書いたと思いますが私は芸術文化複合施設の建設には反対してきませんでした。しかし、腹を立てています・・建設予算の見込み違いについてはもちろんですが、もっと大きい意味合いで『行政経営が見えない』のです。新居浜市の財産の全体把握すら出来ているのかどうか、まともに答弁しない今の役所に腹が立つのです。

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2006年7月12日 (水)

インターネットのこと

福祉・教育常任委員会の研修で今夜は福井県の鯖江市にいます。

昨日新居浜市のお茶屋さんブログで、自慢の商品が福井テレビのローカル番組で紹介されると知り、ホテルのTVのチャンネルを合わせました。予告どおりそのお茶屋さんの商品紹介が放映されました。インターネット通販を実感したというか・・・

日本も世界も・・・ある意味狭いんだな・・・カップヌードルのCMではないですが、まさにノーボウダーなんだな・・インターネットだけでなく携帯電話もです。昨日も今日も新居浜にいるかのごとく携帯電話が鳴りました。

そんな時代になぜわざわざ委員会の研修で富山市や鯖江市にJRで出かけるのかと突っ込まれそうですが・・・やはり現地で自分の目で見て肌で感じる事は意味があります。今日富山市の小規模多機能施設(富山型デイサービス)「このゆびとーまれ」を見学させていただきましたが、HPや本だけでは実感できない本物を感じました。

話が変わりますがこのブログ、今週に入ってアクセスが二桁になりました。開設の私がびっくりしています。書き込んでいる以上、多くの人に見ていただきたいと思っていますが・・・見ていただく為に自分のスタンスを変えるつもりは無いので(ニュースで見聞きしただけで事実かどうか定かではありませんが・・注目を集めるために「放火」するようなことは私はしません)、これからもあまり面白い文章はかけませんが・・・できればご批評なりご批判をいただければありがたいと思っています。質問も大いに歓迎いたします。

福祉・教育常任委員会の研修は明日、鯖江市で「病児・病後児デイケア」「福祉複合施設」の視察をさせていただき、明日大和郡山市の「不登校対策」を研修して終わる予定です。

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2006年6月22日 (木)

テレビはすごい

昨夜、たまたま目にしたバラエティー番組で鈴木宗男氏が出演していました。4年前の鈴木氏の印象と現在の印象、私の中でもだいぶ変化しています。しかし、テレビの取り上げ方ほどではない・・・あきれた意味で「テレビはすごい」という感想です。

テレビのワイドショーのネタになる事ほどヤバイ事はない。そんなバッシングの中で這い上がる人もすごいな・・・マスコミの節操のなさを書くのは、長くなるのでやめておきますが私が鈴木宗男氏の印象を替えるきっかけになったのは佐藤優氏の著作です。

「国家の罠」-外務省のラスプーチンと呼ばれて-この本は第59回毎日出版文化賞特別賞を受賞してから読みました。先日このブログで触れた藤原正彦氏の「国家の品格」でも紹介されていますが、本としてのボリュームもですが中身も佐藤氏の著作のほうが啓示を受ける事柄が多かったです。皆さんにもご一読されることをおすすめいたします。

『国策捜査』・・これは佐藤氏の「国家の罠」の主要なテーマです。ライブドアの堀江貴文容疑者、村上ファンドの村上世彰容疑者がこの規定の範疇に入るのかどうか・・?堀江容疑者はこの言葉『国策捜査』を口にしたとの報道を耳にしたように記憶していますが、さだかではありません。

ただ佐藤氏が著作の中で展開されている『国策捜査』が一種のフレームアップとするなら堀江容疑者や村上容疑者の小泉政権とのかかわりを見る限り「同じ位置づけ」とは言いがたいとの思いが私にはあります。

4月でしたか・・5月に入ってでしたか、佐藤氏が鈴木氏と村上氏(元参議院議員)他どなたかを誘って吉野詣でをされたとの新聞記事を目にしましたが、後醍醐天皇の故事を引き合いに出すのは少し違うように思います。

「テレビはすごい」の表題から、かけ離れた文章になってしまいました。(私としてはつながっているのですが・・)続きは、もう少し整理して議員日誌に機会を見て書くとします。

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2006年6月13日 (火)

「ウズベキスタンの桜」を読んで

今月3日に文化協会からご案内を戴き、新居浜市出身の白鳥正夫氏の出版記念の催しに出席しました。白鳥氏は角野校区の九つ先輩になりますが同期の方に私自身の知己も多く今回のご案内になったと承知しております。

表題が白鳥氏の著作ではなく今回の催しに同行された元内閣官房参与・中山恭子氏の著作であるのは申し訳ないのですが・・・中山恭子氏と面談する機会を与えていただいた白鳥氏には感謝いたします。昨年の平山郁夫氏の講演会実現もあわせ新居浜市出身の白鳥氏が「新居浜市民にとってありがたいお仕事をしていただいている」と感じているのは、私一人ではありません。

「ウズベキスタンの桜」は1999年7月から3年間ウズベキスタン共和国(兼タジキスタン共和国)特命全権大使を勤められた中山恭子氏の勤務録といえますが読ませていただいた第一の感想は「北朝鮮による拉致被害者の家族全員の帰国はこの人がその役割を果たしたからこそだったんだとの確信」です。

2002年9月に内閣官房参与(拉致被害者担当)として中山氏のお名前を報道でお聞きしたとき特段の感想は持ちませんでした・・正直言えば「ああ女性なんだ・・」とだけでしたがその後の各種報道や中山参与の発言を耳にしていく中でこの人は「役人」じゃない・・すごい人じゃないかなとの漠然とした印象を抱いていましたが今回直接ご本人のお話を聞く機会にめぐり合い、またその著作で内閣官房参与となる直前までの仕事を知る事ができ先程の「確信」という感想に至りました。

もちろん仕事は一人ではできません。ご本人も含め、優秀でかつ強固な使命感を持つ多くのスタッフがいてこそできるものでしょうし、外交交渉ならその方々のチームワークも重要な必要条件です。しかし、やはりそのスタッフを束ねるチーフ格の方の人間性とか責任感の重さが結果の成否に大きな要素があると思います。

「ウズベキスタンの桜」の記述の大半は中央アジアに位置する同国の文化や生活風俗の紹介ですが・・大使として着任中に起きたキルギスでの日本人人質事件の解決へのご苦労は、アフガニスタン情勢・タリバンのことそしてそれにつづくアメリカ本土での同時多発テロと今に続く複雑な国際情勢一端を垣間見る読み物になっています。残念なのはまだ書けないことがいっぱいあるのだろうということです。

本の表題にあるエピソード、シベリヤから中央アジアへ移送された日本兵抑留者のことはこれまで知らなかったことで不明を恥じる思いです。皆さんにも書店でこの本を手に取る機会があればご一読されることをおすすめいたします。

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2006年5月 9日 (火)

山田方谷のこと

ゴールデンウィークの直前に書店で地元選出代議士の著作「山田方谷の思想」を購入した。かねがね小野代議士が山田方谷の業績をたたえその政治手法のみならず生き方に多くを学ぼうとされている事を知っていた事もあるが、私自身、山田方谷が幕末・維新にかけて果たした役割に尋常でないものを感じていた事もある。

山田方谷の幕末の有名なエピソードで、「徳川幕府とともに死なん」との藩主・板倉勝静の思いとは別に、国元で備中松山城を官軍に無血開城し。鳥羽伏見の戦いのあと大鳥圭介らとともに奥羽列藩同盟の参謀となり、さらには箱館へと転戦していた板倉勝静をプロシャ商船を雇って東京に連れ戻し、多くの藩士だけでなく藩主までも明治へと生き残らせた幕末の傑出した家老である。山田方谷の名声を聞き、教えを請うた長岡藩の河井継之助が無用な戦いに領民・藩士を巻き込んだことと比べると彼の時代を見る目の確かさが際立つ。

寄り道をしたが山田方谷の最大の功績は幕末期たった8年間で10万両の借金をしていた備中松山藩の藩財政を逆に10万両の蓄財のある健全財政に改革した事です。また1852年に彼が洋式兵制を取り入れて組織した農兵制度「里正隊」は高杉晋作の奇兵隊のモデルにもなったとのこと。

山田方谷の事柄を別にして読めば(著者には申し訳ない表現ですが)この本は、今国会の衆議院財務金融委員会の委員長を務める著者がいかに現在の日本国の財政が危機的状況にあるかを認識しているかを知る上で参考になる本です。同時に著者が先人・山田方谷を手本に現在の財政危機克服への決意を表明している点を忘れずに付け加えておきます。

「温故知新」という事でもありませんが・・「米百表」の逸話は河井継之助のいくさがなければ無かったかもしれません。来し方・行き方・・歴史はつながっているということかな。

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